最初の診断へ
滲出性中耳炎と診断されてから数か月後、いよいよ児童精神科の予約の日となりました。
予約してから時間が経っていたので、保育園には、「いつ診察日ですか?」と何回も確認されていました。
前回の保育園との面談時に、「もし、発達障害と確定しましたら、当園では受け入れる体制がないので、転園して頂きます」と伝えられてもいました。
仮に転園となっても、転園先の目途は付いていましたので、そこまで不安ではありませんでした。
両親(私と夫)と一緒に来るようにと指示があり、家族全員で緊張した面持ちで市の発達センターに向かいました。
発達センターでは、我が家と同様に診断を待っているであろう家族が、待合に座ってします。
しばらくすると、名前が呼ばれました。
診察室に入ると、私達に見向きもせずに、ひたすらパソコンに向かっている医師がいました。
畳みかけるように、今までのちくわの生育状況を細かく質問されます。
医師は、パソコンに向かって黙々と入力します。
その様子に違和感を感じながら、質問された事に答えていきます。
質問が終わると、診断の判断となるチェックシートに点数を記入していきます。
突然の診断
チェックシートを見ながら計算機で点数を足していくと、
「軽度の自閉症だね。治るものじゃないからね。」
と告げられました。
『いやいや、ちょっと待って。あなた、ちくわの顔すら見てないじゃん。』と心の中で思いながら、この医師に対する不信感でいっぱいでした。
戸惑って何も言えないまま、次回の予約をして、診察室を出ました。
診察室を出た後、納得ができず悶々としていました。
セカンドオピニオン
帰り道、夫と話し合い、別の医師にも診て欲しいということになりました。
家に着くと、発達センターに電話して、再度、別の医師に診てもらえないかと相談しました。
発達センターから渋々了解を得て、再度、別の医師に予約を入れてもらいました。
後に分かったことですが、この医師は、ご自身も発達障害で、大変苦労されているそうです。
当時は、そのような事情を知らなかったので、余りの不躾な態度に憤慨していました。
最初の診断日の夜は、人生で初めて一睡もすることができませんでした。
この2か月後に、10年以上お世話になる今現在の主治医に出会うことは、この時は、まだ知る由もありませんでした。
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