お昼寝をしなかったこと
ちくわは小さい頃、お昼寝をしませんでした。
診断前、加配のない保育園に通っていた頃に保育士さんから「お昼寝をするようにさせてください。」と言われてしまいました。
家でもお昼寝をしなくて、私も参っていたので、その気持ちはよく分かりました。
しかし、ちくわがお昼寝をするのは滅多にないことなので、何をどうしていいか分かりませんでした。
夜はぐっすり眠っていたので、
「夜更かしさせればいいのでしょうか。午前3時頃から起こせばいいのでしょうか。」
と私も追い詰められました。
結局、どうしても寝ないので、「寝たふりをして静かにしているように。」となりました。
保育士さんも、手間が掛かってしまう子で大変だったと思います。
同じ質問を延々と繰り返されること
普段は聞き流すことができるのですが、疲れているときは、追い詰められます。
最初は丁寧に答えるのですが、答え終えた瞬間に同じ質問を繰り返します。
ちくわが通っているアートスクールの先生が、ちくわに何度も同じ質問をされて、終いには怒ってしまったことがあります。
ちくわには、「同じ質問を何度もするのは、失礼な事なんだよ。」と根気強く教えています。
年下の子の方が知的に上なこと
小学校の朝の集団登校で、班長さん副班長さんは、学年が一番上の子がなります。
修学旅行や野外活動で上級生が休みの場合は、3、4年生の子が班長代理となります。
ちくわは、注意散漫で班長の役は難しいので、ちくわより2学年下のしっかり者さんが班長代理となります。
『あ~、越されちゃったな』と思いました。
これも分かっていたことなんですけどね。
行事に参加しても理解できないこと
小学校での子供会の行事です。
学校の行事は支援級の担任の先生が付き添ってくれるので、問題ないのですが、子供会は、保護者が主催者です。
ですので、子供会の役員の時はもちろん、役員の年以外も、私が付き添いで同行しました。
夏休みのお楽しみ会
夏休みのお楽しみ会は、通常、映画鑑賞やボーリングです。
映画鑑賞は、既に観てしまった子がいたり、ちくわには刺激が強すぎるので、ボーリングでした。
しかし、ボーリングのルールが分からず、とりあえずボールを転がしている状態。
ボールは、途中で止まってしまい、その度にゲーム中断。
おなじチームの子は、気を使ってくれていたものの、本人は、楽しかったのか不明でした。
クリスマス会
小学校の体育館で、いろんなゲームをします。
じゃんけんで勝ったらお菓子をもらえるなどの簡単なゲームが多いです。
低学年の頃は、やはりルールが理解できずに立ち往生してしまうことが多かったです。
しかし、さすがに高学年になる頃には、慣れもあり何とか理解できるようになりました。
6年生を送る会
ちくわが6年生の時、下級生がちくわの似顔絵を描いてくれることになりました。
下級生達が一生懸命描いてくれた似顔絵でしたが、似顔絵の髪の毛の長さが気に入らず、怒って似顔絵を破ってしまいました。
ちくわは、髪の毛の長さにこだわりがあります。
私は、描いてくれた下級生達とその保護者にお詫び行脚。
せっかくの6年生を送る会が台無しとなりました。
将来を考えること
将来のことは、誰にも分からないことなのですが、やはり心配は尽きません。
私達夫婦で、一生ちくわの面倒を見るんだろうか。
私が死んだら、ちくわは、どうなってしまうのだろうか。
1人で生活できるんだろうか。
どこかの施設のお世話になるんだろうか。
今、まさに自問自答です。
当ブログのキャッチフレーズ「発達障害の娘 ちくわ が将来自立できることを願いながら」です。
同級生との差がはっきりしてきた時
同級生との差がはっきりしてきたのを感じたのは、ちくわが小学3年生頃でした。
特に学習面です。
「算数の友」というドリルが、ちくわには難しすぎたことです。
担任の先生から、「ちくわちゃんに合ったドリルを使ってもよろしいでしょうか。」と尋ねられたことがありました。
私「はい、もちろんです。本人にとって合っているものがいいと思います。」
と答えましたが、内心は『あ~、いよいよ差が開いてきたのかな』と感じました。
6年生の担任の先生からは、何かの話の最中で「中学に行ったら、差はもっと広がってくると思います。」と言われたのも、結構、胸に刺さりました。
分かってはいるものの、現実を突きつけられた感じですね。
自分の成長過程で得たノウハウは、ちくわには通用しないと。
発達障害と診断された時のこと
やはり、避けては通れない道でした。
夜、まったく眠れなかったことは、この時だけです。
言葉がでなかった時期
言葉がでなかった時期は、答えが見えない闇の中のようでした。
主治医や言語聴覚士さんからの話を信頼し、言葉は出る!と信じるしかありませんでした。
藁をもすがる思いでホースセラピーに通ったり、当時は、相当焦っていました。
夫の母は、毎日、富士山に向かって言葉が出るように祈っていてくれたそうです。
言葉がこのままずっと出ないのかと不安の中、非常に辛い時期でした。
結果的に出るようになりましたが、街で小さな子が当たり前に話している姿を見る度に、複雑な心境になっていました。
その時は永遠に感じても、良くも悪くもずっと同じ状態は続かないものですね。
他の子から暴力や暴言を受けたこと
ちくわは小学生のとき、ある特定の2人から暴力や暴言を受けていたことがあります。
1人は同級生の男の子。父親から暴力を受けて育っていた子です。
もう1人は同級生の女の子。母親は彼氏と遊んでいて、「私は、娘と会っていないから分からない。」と言い放つ人です。
その子達は、ちくわだけではなく他の子にも危害を加えていました。
何度も学校の先生に相談し、先生の目が届かない児童クラブを辞めてデイサービスに移り、その子達と接触する機会を減らすことで改善しました。
この男の子はちくわに「お前は、発達障害だ!」と連発していたため、ちくわは【発達障害】という言葉に拒絶反応を起こすようになりました。
主治医とも相談し、現時点で、ちくわ本人へ障害の告知は控えています。
自分の子供が暴力や暴言を受けることは、親として非常に辛いものです。
髪の毛に排泄物を塗り付けていたこと
2~3歳の頃です。
今思い出しても悪夢です。
ちくわは、お昼寝をしない子だったので、こちらが参ってしまっていました。
別の部屋で私がウトウトをしていました。
目が覚めて、ちくわのいる部屋に行くと、何と、ちくわが自分の髪の毛に排泄物を塗り付けていました。
あまりの光景に、思わず絶叫しました。
この子は、異常なんじゃないかと絶望しました。
すぐにお風呂場で洗い流しましたが、あの時は、パニックでした。
髪の毛に排泄物を塗り付けていたのは、この時だけでしたが、どうしてそんなことをしていたのか、今でも不明です。
まとめ
今回は、10年間で辛かった出来事を10個思い出してみました。
今現在、大変な毎日を過ごされている方もいらっしゃると思います。
私は辛い時、いつも『ずっとこの状態は永遠には続かない』と心に言い聞かせています。
良い時も悪い時も、いつかは必ず変化がやってきます。
このブログを通して、少しでもみなさまの励みになれたらうれしいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございましたm(__)m