発達障害児を育てて辛かった出来事10選【これが現実】

お昼寝をしなかったこと

ちくわは小さい頃、お昼寝をしませんでした。

診断前、加配のない保育園に通っていた頃に保育士さんから「お昼寝をするようにさせてください。」と言われてしまいました。

家でもお昼寝をしなくて、私も参っていたので、その気持ちはよく分かりました。

しかし、ちくわがお昼寝をするのは滅多にないことなので、何をどうしていいか分かりませんでした。

夜はぐっすり眠っていたので、

「夜更かしさせればいいのでしょうか。午前3時頃から起こせばいいのでしょうか。」

と私も追い詰められました。

結局、どうしても寝ないので、「寝たふりをして静かにしているように。」となりました。

保育士さんも、手間が掛かってしまう子で大変だったと思います。

同じ質問を延々と繰り返されること

普段は聞き流すことができるのですが、疲れているときは、追い詰められます。

最初は丁寧に答えるのですが、答え終えた瞬間に同じ質問を繰り返します。

ちくわが通っているアートスクールの先生が、ちくわに何度も同じ質問をされて、終いには怒ってしまったことがあります。

ちくわには、「同じ質問を何度もするのは、失礼な事なんだよ。」と根気強く教えています。

年下の子の方が知的に上なこと

小学校の朝の集団登校で、班長さん副班長さんは、学年が一番上の子がなります。

修学旅行や野外活動で上級生が休みの場合は、3、4年生の子が班長代理となります。

ちくわは、注意散漫で班長の役は難しいので、ちくわより2学年下のしっかり者さんが班長代理となります。

『あ~、越されちゃったな』と思いました。

これも分かっていたことなんですけどね。

行事に参加しても理解できないこと

小学校での子供会の行事です。

学校の行事は支援級の担任の先生が付き添ってくれるので、問題ないのですが、子供会は、保護者が主催者です。

ですので、子供会の役員の時はもちろん、役員の年以外も、私が付き添いで同行しました。

夏休みのお楽しみ会

夏休みのお楽しみ会は、通常、映画鑑賞やボーリングです。

映画鑑賞は、既に観てしまった子がいたり、ちくわには刺激が強すぎるので、ボーリングでした。

しかし、ボーリングのルールが分からず、とりあえずボールを転がしている状態。

ボールは、途中で止まってしまい、その度にゲーム中断。

おなじチームの子は、気を使ってくれていたものの、本人は、楽しかったのか不明でした。

クリスマス会

小学校の体育館で、いろんなゲームをします。

じゃんけんで勝ったらお菓子をもらえるなどの簡単なゲームが多いです。

低学年の頃は、やはりルールが理解できずに立ち往生してしまうことが多かったです。

しかし、さすがに高学年になる頃には、慣れもあり何とか理解できるようになりました。

6年生を送る会

ちくわが6年生の時、下級生がちくわの似顔絵を描いてくれることになりました。

下級生達が一生懸命描いてくれた似顔絵でしたが、似顔絵の髪の毛の長さが気に入らず、怒って似顔絵を破ってしまいました。

ちくわは、髪の毛の長さにこだわりがあります。

私は、描いてくれた下級生達とその保護者にお詫び行脚。

せっかくの6年生を送る会が台無しとなりました。

将来を考えること

将来のことは、誰にも分からないことなのですが、やはり心配は尽きません。

私達夫婦で、一生ちくわの面倒を見るんだろうか。

私が死んだら、ちくわは、どうなってしまうのだろうか。

1人で生活できるんだろうか。

どこかの施設のお世話になるんだろうか。

今、まさに自問自答です。

当ブログのキャッチフレーズ「発達障害の娘 ちくわ が将来自立できることを願いながら」です。

同級生との差がはっきりしてきた時

同級生との差がはっきりしてきたのを感じたのは、ちくわが小学3年生頃でした。

特に学習面です。

「算数の友」というドリルが、ちくわには難しすぎたことです。

担任の先生から、「ちくわちゃんに合ったドリルを使ってもよろしいでしょうか。」と尋ねられたことがありました。

私「はい、もちろんです。本人にとって合っているものがいいと思います。」

と答えましたが、内心は『あ~、いよいよ差が開いてきたのかな』と感じました。

6年生の担任の先生からは、何かの話の最中で「中学に行ったら、差はもっと広がってくると思います。」と言われたのも、結構、胸に刺さりました。

分かってはいるものの、現実を突きつけられた感じですね。

自分の成長過程で得たノウハウは、ちくわには通用しないと。

発達障害と診断された時のこと

やはり、避けては通れない道でした。

夜、まったく眠れなかったことは、この時だけです。

言葉がでなかった時期

言葉がでなかった時期は、答えが見えない闇の中のようでした。

主治医や言語聴覚士さんからの話を信頼し、言葉は出る!と信じるしかありませんでした。

藁をもすがる思いでホースセラピーに通ったり、当時は、相当焦っていました。

夫の母は、毎日、富士山に向かって言葉が出るように祈っていてくれたそうです。

言葉がこのままずっと出ないのかと不安の中、非常に辛い時期でした。

結果的に出るようになりましたが、街で小さな子が当たり前に話している姿を見る度に、複雑な心境になっていました。

かまぼこ
かまぼこ

その時は永遠に感じても、良くも悪くもずっと同じ状態は続かないものですね。

他の子から暴力や暴言を受けたこと

ちくわは小学生のとき、ある特定の2人から暴力や暴言を受けていたことがあります。

1人は同級生の男の子。父親から暴力を受けて育っていた子です。

もう1人は同級生の女の子。母親は彼氏と遊んでいて、「私は、娘と会っていないから分からない。」と言い放つ人です。

その子達は、ちくわだけではなく他の子にも危害を加えていました。

何度も学校の先生に相談し、先生の目が届かない児童クラブを辞めてデイサービスに移り、その子達と接触する機会を減らすことで改善しました。

この男の子はちくわに「お前は、発達障害だ!」と連発していたため、ちくわは【発達障害】という言葉に拒絶反応を起こすようになりました。

主治医とも相談し、現時点で、ちくわ本人へ障害の告知は控えています。

自分の子供が暴力や暴言を受けることは、親として非常に辛いものです。

髪の毛に排泄物を塗り付けていたこと

2~3歳の頃です。

今思い出しても悪夢です。

ちくわは、お昼寝をしない子だったので、こちらが参ってしまっていました。

別の部屋で私がウトウトをしていました。

目が覚めて、ちくわのいる部屋に行くと、何と、ちくわが自分の髪の毛に排泄物を塗り付けていました。

あまりの光景に、思わず絶叫しました。

この子は、異常なんじゃないかと絶望しました。

すぐにお風呂場で洗い流しましたが、あの時は、パニックでした。

髪の毛に排泄物を塗り付けていたのは、この時だけでしたが、どうしてそんなことをしていたのか、今でも不明です。

まとめ

今回は、10年間で辛かった出来事を10個思い出してみました。

今現在、大変な毎日を過ごされている方もいらっしゃると思います。

私は辛い時、いつも『ずっとこの状態は永遠には続かない』と心に言い聞かせています。

良い時も悪い時も、いつかは必ず変化がやってきます。

このブログを通して、少しでもみなさまの励みになれたらうれしいです。

かまぼこ
かまぼこ

最後まで読んでくださり、ありがとうございましたm(__)m

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